尼崎市 → 尼崎市 引越し現場で考えた「死に方と生き方」——人生の重みと運送業の本質

公開日: 2025年12月某日 / カテゴリ: 引越し現場, コラム, 尼崎市

こんにちは。

いまだ運送です。

今回のご依頼は、尼崎市から尼崎市までの単身引越しでした。

距離にすればほんの数キロ。移動時間も、信号のタイミング次第では10分とかからない。引越し業界ではよくある「近距離移動」です。

けれど、人の人生は“距離”とは関係なく重みを持っています。そして、その重さに毎回触れるたび、私はこの仕事をしながら「死に方」を考えるようになりました。

もちろん、暗い意味ではありません。むしろ逆で、“どう生きて、どう終わりを迎えたいか”そういう、生き方そのものを見直すきっかけをもらうような感覚です。

今回の尼崎市内引越しでも、そんな自分の生き方について、また一つ思考を深める出来事がありました。


目次

■引越し先までの短い道のりで見えるもの

尼崎は私にとって馴染み深い街です。商店街の古い看板、再開発された新しい道、工場エリアに並ぶ鉄の匂い…車を走らせるたび、“地元の生活そのもの”を感じられる場所。

今回も荷物を積んでトラックを走らせる間に、公園で遊ぶ親子、通勤自転車の人、老夫婦の散歩など、たくさんの日常が目に飛び込んできました。

そしてふと思うのです。

「自分がいつか人生を終えるとき、この街のどの場面を思い出すんだろう?」

仕事中にそんなことを考える運送屋なんて、ちょっと変わっているのかもしれません。

でも、引越しという仕事は、ある意味で“人の人生のページがめくられる瞬間”に立ち会う仕事です。新生活への希望が詰まった段ボールもあれば、涙をこらえながら運ぶ荷物もある。物を移動するだけの仕事ではないことを、日々痛感しています。

そんな環境に身を置いていると、どうしても「自分はどんな最期を迎えたいのか」という問いが頭の隅に生まれるのです。

■お客様の表情が教えてくれるもの

今回のお引越しは、部屋数も荷物の量も大きくはありませんでした。けれど、お客様の表情がとても印象的でした。

家を出るとき、ふと室内を見つめて、小さく息をついている。

新しい家に入ったとき、ホッとしたような、寂しさが混じったような、複雑な顔をされている。

その一瞬一瞬を見ると、「あぁ、この人の人生にとって今日という日は、大きな節目なんだ」と気づかされます。

人生には、誰にも言わないけれど胸に秘めた思いがあります。それが嬉しさであっても、悲しさであっても、その荷物を運んでいると自然とこちらにも伝わってくる。

だからこそ私は、仕事中によく考えるのです。

「自分は、どう死にたいのか。」「いや、その前にどう生きたいのか。」

荷物を守りながら階段を上がる時、段ボールを並べて配置を工夫している時、運転中に信号待ちしている時。ふとした瞬間に、人生のことを真剣に考える自分がいます。

■死を考えると、逆に「生きる力」が湧く

一般的には「死」について考えるのは良くないと思われがちですが、私はこの仕事を通じて、少し違う感覚を持つようになりました。

死を考えると、逆に「今日という日は二度と来ない」という実感が強まり、生きる力が湧いてくる。

お客様が「ありがとうございました」と笑ってくれた時。荷物を運び終えた時の達成感。汗が落ちる瞬間。トラックのエンジン音。この仕事の喜び。

それら全部が“今しかない瞬間”であり、人生を構成する大事なピースなんだと思えるのです。

今回の尼崎市内の引越しも、距離は短くても、人生の価値は長距離でした。

■この仕事は、死を考えることで「より真剣に生きられる」

運送業をしていると、老後の部屋整理に立ち会うこともあります。亡くなった方の家で遺品を運ぶこともある。家族が泣く場面を見ることもある。

だからこそ、「自分は何を大事にして生きるべきか」「残された時間をどう使うか」その考えが深まるのです。

決して暗い意味ではなく、むしろ“生きるためのヒント”が、日々の仕事の中に転がっていると感じます。

今回のお引越しでも、お客様の表情、部屋に残る空気感、トラックの揺れ、それらすべてが私の心に何かを語りかけてくれました。

■最後に

尼崎市から尼崎市への近距離引越し。シンプルな作業に見えて、その裏側には多くの気づきと学びがありました。

この仕事を通じて、私は「死に方を考えることは、より良く生きるための作業」だと確信しています。

今日のご依頼も、そんな気づきをくれました。

改めまして——ご利用、誠にありがとうございました。

そして、これからも皆さまの“人生の節目”に寄り添える運送屋でありたいと思っています。

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